心とは何か。
それは、どこかに「ある」ものではなく、
世界とのあいだに「生まれる」ものなのかもしれません。
たとえば、音を出せば、壁や空気がそれに応える。
私たちは、その“反響”を聞いて、
自分の声の存在を確かめます。
心も、それと同じような仕組みで動いているのではないでしょうか。
嬉しい言葉をかけられたとき、
胸の奥にあたたかい波が広がる。
悲しい出来事に触れたとき、
静かに沈んでいくような感覚がある。
それはすべて、世界からの刺激に対する**フィードバック**です。
つまり、「感じる」とは、応答すること。
心は、外界を映す鏡でありながら、
同時にその鏡面を通して世界を変えていく存在でもあります。
光が当たる角度が変われば、反射の仕方も変わるように、
私たちの心もまた、経験や時間によって反応の形を変えていきます。
もし誰かがまったく反応を返さなくなったら──
どんなに美しい音も、悲しい物語も、
そこには「心がない」と感じるでしょう。
心とは、単に内側にある感情ではなく、
世界に対して応答する**運動そのもの**なのです。
HARMONEERという言葉の中には「調和(harmony)」が含まれています。
調和とは、音が響き合うこと。
それは一方通行ではなく、常に**往復するやり取り**です。
ひとつの音が他の音を揺らし、その振動がまた自分に戻ってくる。
心も同じように、他者や環境からの“反響”を通して成長します。
つまり、心とは「閉じた器」ではなく、
世界と呼吸を交わす“回路”です。
その回路を開いておくこと。
それが、感じる力であり、生きる力でもある。
現代では、効率や正解が重視されるあまり、
「感じること」「応答すること」が置き去りにされがちです。
けれど、心の本質がフィードバックであるとすれば、
一方的な出力では、心はやせていってしまう。
世界からの小さな反応──風の音、誰かの笑顔、
自分の中の違和感──
それらを受け取ることが、心のメンテナンスなのだと思います。
心はつねに動いています。
響き、返し、整えながら、また次の音を放つ。
その連鎖の中で、私たちは「自分」を見つけ、
世界と調和しながら生きているのです。