専門でも主観でもない場所から世界を見る

私たちは、何かを語ろうとするとき、いつも両極のはざまに立っています。
一方には「専門性」という確かな知識や体系があり、もう一方には「個人の感覚」という曖昧で移ろいやすいものがあります。

私が書く文章は、そのどちらにも完全には属していません。
専門家のように論文を書くわけでもなく、個人的な体験を日記のように綴るわけでもありません。
むしろ、両者のあいだを行き来しながら、“感じたことを言葉にしてみる”という試みです。

それは、世界を「観察する」という態度に近いかもしれません。
たとえば、朝の光に心が少しだけ安らぐとき、その感覚を科学で説明することはできます。
しかし、説明された瞬間に失われる“何か”も確かにあります。
私が探しているのは、その「説明しきれない領域」に宿る、人間のリアリティです。

医学や心理学のような分野では、「原因」と「結果」を明確にすることが求められます。
一方で、私たちが日常のなかで感じる“違和感”や“もやもや”は、明確な答えを持たないまま存在します。
それでも、それらを丁寧に観察し、言葉を与えることは、心の調和を取り戻す小さな第一歩になるのだと思います。

HARMONEERでは、このような曖昧な思考の過程そのものを「探究」と呼びます。
正しさを証明するためではなく、感じたことを通して世界の輪郭を描き直すために。

私は研究者ではありませんが、無関心でもありません。
主観的かもしれませんが、独りよがりではありません。
世界と自分のあいだに流れる微かな振動を感じ取り、それを“記録する人”でありたいのです。

それは「ハーモニーを見つける」という営みの原点でもあります。
専門でも主観でもない場所——。
そこにこそ、私たちが本当に出会うべき“調和”があるのかもしれません。