境界線 ― ゆらぐことで、つながるということ

私たちはみんな、見えない「境界線」を持って生きています。
それは、皮膚や言葉や沈黙のように、
自分を守るために、世界とのあいだに引かれた線です。

この線があるからこそ、私たちは「自分」を保てます。
他者と完全に混ざってしまえば、どこからが自分で、どこまでが他人なのか、
わからなくなってしまうでしょう。
だから、境界線は必要です。
呼吸と同じように、世界と自分を分けるリズムのようなもの。

けれど、境界線というのは、けっして硬い壁ではありません。
ふとした瞬間、そこが少しだけ“ほどける”ことがあります。
たとえば、誰かの言葉に胸があたたかくなったとき。
動物に見つめ返されたとき。
音楽や映画に涙がこぼれたとき。
その瞬間、私たちは、自分の輪郭がすこし揺らぐのを感じます。

少女漫画のワンシーンを思い出します。
感情が高まったとき、背景にふわふわと**粒子が漂う**ような描写。
気持ちが通じ合う瞬間に、空気がやわらかくなる。
あの「ほっこり」や「ほんわか」といった感覚は、
まさに境界線がやわらかくほどけた状態なのかもしれません。

その一瞬、私たちは他者と混ざり合い、
言葉を超えて「わかり合えた」と感じる。
それは、理屈ではなく、空気や温度のように伝わるもの。
粒子がふわりと舞い、世界の輪郭が溶けていく。
そこに、調和(ハーモニー)の原型があるように思います。

もちろん、ずっと境界が溶けていたら、息が苦しくなります。
だからこそ、人はまた、ゆっくりと自分の形に戻っていく。
けれど、その“ほどけていた時間”の記憶が、
人と人とのあいだに、やさしい余韻を残すのです。

境界線とは、切り離すための線ではなく、
**つながるための余白**なのかもしれません。
そこに風が通り、光が差し、言葉が行き交う。
そして私たちは、その余白の中で、
世界と少しずつ呼吸を合わせていくのです。

HARMONEERが描きたいのは、まさにその「ゆらぎの中の調和」です。
自分を守りながらも、ときに開き、
他者と響き合う。
その繰り返しの中で、世界は少しずつやわらかくなっていく。