レストランで「目玉焼き、どんな焼き方にしますか?」と聞かれたとき、
「お任せで」「なんでもいいです」と答えてしまう人は多いのではないでしょうか。
けれど、実はその瞬間こそ、自分を知るチャンスです。
半熟が好きなのか、しっかり焼いた方が安心するのか。
黄身がとろけるのが嬉しいのか、それとも少し苦手なのか。
それをきちんと伝えることは、決して「ワガママ」ではありません。
むしろ、自分が何を心地よいと感じるかを理解しているという、成熟したサインなのです。
一方で、「なんでもいい」と言っておきながら、
出てきた料理を見て「やっぱり半熟は嫌だった」と後から言うようなことは、できれば避けたいですね。
それは相手にとっても、自分にとっても不幸なすれ違いです。
相手は「望まれていると思って」用意してくれたのに、
こちらは「望んでいなかった」と感じてしまう。
でも、その原因はたいてい「自分が何を望んでいるか」をまだ把握していなかったことにあります。
「自分の望みを言葉にする」というのは、相手を困らせる行為ではありません。
むしろ、相手との関係をよりよく整えるための、丁寧なコミュニケーションの第一歩です。
「こうしてもらえると嬉しい」と伝えることは、
相手への信頼の表現でもあります。
そして、それが叶えられたときに「ありがとう」と伝えることで、
その関係はより深く、温かいものになっていきます。
私たちは、つい「遠慮」と「思いやり」を混同してしまうことがあります。
遠慮は自分を抑えることですが、思いやりは相手を大切にすることです。
自分の感じ方を伝えることは、相手を否定することではなく、
お互いがより良いバランスを見つけるための行為です。
調和(ハーモニー)とは、そのすり合わせの中に生まれます。
目玉焼きの焼き加減をどう伝えるか。
それは小さな選択のようでいて、実は「自分という人間をどう扱うか」という大きなテーマにつながっています。
自分の心地よさを理解し、それを表現する力を持つこと。
それが、日々の生活をより豊かにし、人との関係にも深い安心をもたらします。
「自分が何を望んでいるのか」を知ること。
それは、わがままではなく、自分との調和を見つけることです。
そしてその調和は、やがて周囲とのハーモニーへと広がっていきます。