日常生活にて 第1回:はぐれた部品のままで、生きていく

朝、机の上に、小さな物体を置いた。

丸くて、少し突起があって、何かの途中のような形をしている。
役に立つわけでもないし、どこかに接続できるわけでもない。

ただ、そこにある。

しばらく眺めていると、ふと気づく。
これは「未完成」なのではなく、「はぐれている」だけかもしれない、と。

多くの場合、私たちは「完成された状態」を前提にして生きている。

ちゃんとした仕事。
ちゃんとした役割。
ちゃんとした関係。

どこかにぴったりとはまること。
それが正しいと、なんとなく信じている。

でも、現実は少し違う。

会社の中でも、家庭の中でも、
どこか少しずれている感じがする。

役割は果たしているけれど、
「これが自分なのか」と聞かれると、少し黙ってしまう。

ある日、水族館でクラゲを見ていた。

あれは、どこにも接続されていない。
何かの役割を果たしているようにも見えない。

ただ、漂っている。

でも、不思議と「間違っている」とは感じない。
むしろ、見ていると少し安心する。

もし、あのクラゲに「役に立て」と言ったら、どうなるだろう。

もし、効率よく泳ぐことを求めたら。
もし、何かの機能を持たせようとしたら。

きっと、あの静けさは失われる。

HARMONEERでは、こう考える。

「はぐれている状態」は、失敗ではない。
それは、まだ関係が固定されていないだけだ。

はぐれた部品は、どこにもはまっていない。
でも同時に、どこにでもつながる可能性がある。

完成された部品は、役割が決まっている。
でも、はぐれた部品は、役割が開かれている。

たとえば、仕事を変えたばかりのとき。

まだ居場所が定まらず、
何をしていいか分からない時間がある。

あれは「無駄」だろうか。

HARMONEERでは、それをこう捉える。

「関係が生まれる前の、余白の時間」

すぐに成果を出そうとすると、
その余白はすぐに埋められてしまう。

でも、少しだけそのままにしておくと、
思いがけない関係が生まれることがある。

イソギンチャクは、自分から動かない。

ただ、そこにある。

でも、魚が寄ってきて、関係が生まれる。
守られるものと、守るもの。

最初から設計された関係ではない。
あとから、関係になる。

人も同じかもしれない。

最初から「役に立つ形」を目指すと、
関係は固定されてしまう。

でも、少しだけ「はぐれたまま」でいると、
あとから関係が見つかることがある。

だから、無理に完成しなくていい。

どこにもはまらない時間があっていい。

むしろ、その状態のほうが、
世界との関係は、豊かに開かれている。

机の上の、小さな物体を、もう一度見る。

まだ、何にもなっていない。
でも、すでに「何か」である気がする。

それは、完成していないからではなく、
まだ決まっていないからだ。

HARMONEERは、完成を目指す考え方ではない。

関係を見つけていくための、
少しゆるやかな設計だ。

今日、もし少しだけ自分が「はぐれている」と感じたら。

それは失敗ではなく、
まだ決まっていないだけかもしれない。

そのまま、少しだけ置いておく。

何かと、つながるまで。