夜、焚き火の前に座る。
火は、ただ燃えている。
何かを伝えようとしているわけでもなく、
何かの役に立とうとしているわけでもない。
しばらく見ていると、時間の感覚が少し変わる。
早くも遅くもない。
ただ、流れている。
人は、普段、説明を求める。
これは何なのか。
何のためにあるのか。
どういう意味があるのか。
でも、焚き火は、何も説明しない。
それでも、人はそこに集まる。
言葉がなくても、
何かが共有されている感じがある。
HARMONEERでは、こう考える。
すべてを説明しなくても、
関係は成立する。
むしろ、説明しすぎると、
関係は固定されてしまう。
たとえば、遊び。
子どもが何かに夢中になっているとき、
そこに「意味」を与えすぎると、
その遊びは急につまらなくなる。
本当は、意味がなくても成立している。
ただ、その場にある関係がある。
祭りも似ている。
何のためにやっているのか、
よく分からないものも多い。
でも、人は集まる。
踊ったり、食べたり、
ただそこにいる。
意味がなくても、成立する。
現代は、説明が多すぎるのかもしれない。
すべてに理由があり、
すべてに目的が求められる。
でも、その中で、
少し息苦しさを感じることもある。
だから、説明しない時間を持つ。
ただ火を見る。
ただ音を聞く。
ただそこにいる。
HARMONEERは、
理解するためのものではない。
体験するためのものだ。
今日、もし少し疲れていたら。
何かを理解しようとしなくていい。
ただ、少しだけ眺めてみる。
そこに、関係はすでにある。