日常生活にて 第5回:焚き火は、説明しない

夜、焚き火の前に座る。

火は、ただ燃えている。

何かを伝えようとしているわけでもなく、
何かの役に立とうとしているわけでもない。

しばらく見ていると、時間の感覚が少し変わる。

早くも遅くもない。
ただ、流れている。

人は、普段、説明を求める。

これは何なのか。
何のためにあるのか。
どういう意味があるのか。

でも、焚き火は、何も説明しない。

それでも、人はそこに集まる。

言葉がなくても、
何かが共有されている感じがある。

HARMONEERでは、こう考える。

すべてを説明しなくても、
関係は成立する。

むしろ、説明しすぎると、
関係は固定されてしまう。

たとえば、遊び。

子どもが何かに夢中になっているとき、
そこに「意味」を与えすぎると、
その遊びは急につまらなくなる。

本当は、意味がなくても成立している。

ただ、その場にある関係がある。

祭りも似ている。

何のためにやっているのか、
よく分からないものも多い。

でも、人は集まる。

踊ったり、食べたり、
ただそこにいる。

意味がなくても、成立する。

現代は、説明が多すぎるのかもしれない。

すべてに理由があり、
すべてに目的が求められる。

でも、その中で、
少し息苦しさを感じることもある。

だから、説明しない時間を持つ。

ただ火を見る。
ただ音を聞く。
ただそこにいる。

HARMONEERは、
理解するためのものではない。

体験するためのものだ。

今日、もし少し疲れていたら。

何かを理解しようとしなくていい。

ただ、少しだけ眺めてみる。

そこに、関係はすでにある。