朝、机の上に、小さな物体を置いた。
丸くて、少し突起があって、何かの途中のような形をしている。
役に立つわけでもないし、どこかに接続できるわけでもない。
ただ、そこにある。
しばらく眺めていると、ふと気づく。
これは「未完成」なのではなく、「はぐれている」だけかもしれない、と。
多くの場合、私たちは「完成された状態」を前提にして生きている。
ちゃんとした仕事。
ちゃんとした役割。
ちゃんとした関係。
どこかにぴったりとはまること。
それが正しいと、なんとなく信じている。
でも、現実は少し違う。
会社の中でも、家庭の中でも、
どこか少しずれている感じがする。
役割は果たしているけれど、
「これが自分なのか」と聞かれると、少し黙ってしまう。
ある日、水族館でクラゲを見ていた。
あれは、どこにも接続されていない。
何かの役割を果たしているようにも見えない。
ただ、漂っている。
でも、不思議と「間違っている」とは感じない。
むしろ、見ていると少し安心する。
もし、あのクラゲに「役に立て」と言ったら、どうなるだろう。
もし、効率よく泳ぐことを求めたら。
もし、何かの機能を持たせようとしたら。
きっと、あの静けさは失われる。
HARMONEERでは、こう考える。
「はぐれている状態」は、失敗ではない。
それは、まだ関係が固定されていないだけだ。
はぐれた部品は、どこにもはまっていない。
でも同時に、どこにでもつながる可能性がある。
完成された部品は、役割が決まっている。
でも、はぐれた部品は、役割が開かれている。
たとえば、仕事を変えたばかりのとき。
まだ居場所が定まらず、
何をしていいか分からない時間がある。
あれは「無駄」だろうか。
HARMONEERでは、それをこう捉える。
「関係が生まれる前の、余白の時間」
すぐに成果を出そうとすると、
その余白はすぐに埋められてしまう。
でも、少しだけそのままにしておくと、
思いがけない関係が生まれることがある。
イソギンチャクは、自分から動かない。
ただ、そこにある。
でも、魚が寄ってきて、関係が生まれる。
守られるものと、守るもの。
最初から設計された関係ではない。
あとから、関係になる。
人も同じかもしれない。
最初から「役に立つ形」を目指すと、
関係は固定されてしまう。
でも、少しだけ「はぐれたまま」でいると、
あとから関係が見つかることがある。
だから、無理に完成しなくていい。
どこにもはまらない時間があっていい。
むしろ、その状態のほうが、
世界との関係は、豊かに開かれている。
机の上の、小さな物体を、もう一度見る。
まだ、何にもなっていない。
でも、すでに「何か」である気がする。
それは、完成していないからではなく、
まだ決まっていないからだ。
HARMONEERは、完成を目指す考え方ではない。
関係を見つけていくための、
少しゆるやかな設計だ。
今日、もし少しだけ自分が「はぐれている」と感じたら。
それは失敗ではなく、
まだ決まっていないだけかもしれない。
そのまま、少しだけ置いておく。
何かと、つながるまで。