マボロシと生きる 第3回:偏見は世界を理解する装置である

初めて行く店に入るとき、
なんとなく「良さそう」と感じることがある。

まだ何も知らないのに、
すでに判断が始まっている。

人は、
世界をそのまま見ているわけではない。

過去の経験や知識をもとに、
意味を当てはめている。

これを「偏見」と呼ぶことがある。

偏見というと、
悪いもののように思われがちだ。

しかし、
偏見がなければ、世界は理解できない。

すべてをゼロから判断しようとすると、
情報量が多すぎて処理できないからだ。

人は、
世界を圧縮している。

分類し、ラベルを貼り、
扱える形にしている。

つまり偏見とは、
理解のための装置でもある。

ただしその装置は、
同時に視野を狭くする。

一度ラベルを貼ると、
それ以外の可能性が見えにくくなる。

だから重要なのは、
偏見をなくすことではない。

更新できる状態でいることだ。

ラベルを貼り替えられる柔軟さ。

それが、
世界との距離を保つ方法なのかもしれない。