「センスがある人っていますよね」
たまに、そういう言い方を聞きます。
服の組み合わせがうまい人。
部屋づくりがうまい人。
会話が自然な人。
写真がうまい人。
音楽の趣味がいい人。
逆に、
「自分にはセンスがないので」
みたいに言う人もいます。
でも私は、この「センス」という言葉に、昔から少し違和感がありました。
なんというか、
“生まれつき持ってる特殊能力”
みたいな響きがあるからです。
もちろん、向き不向きや素質はあります。
たしかに、最初から感覚の鋭い人もいる。
でも、それだけで全部決まるかというと、
たぶんそんな単純な話ではない。
むしろ多くの場合、
「その世界を、どれだけ長く見てきたか」
の方が大きい気がしています。
たとえば、キノコ狩りです。
キノコ狩り名人って、
山に入った瞬間に、
「あ、あそこにある」
と分かるらしいんですよね。
でも、初心者が同じ山に入っても、
まったく見つけられない。
同じ景色を見ているのにです。
これは視力の問題ではありません。
「どういう場所に生えるか」
「湿り気」
「木の種類」
「落ち葉の感じ」
「季節」
「光の入り方」
そういうものを、
長い時間をかけて身体で覚えている。
だから見える。
つまり、
キノコが突然浮かび上がって見えているわけではなく、
“見えるようになっている”。
私はこれが、
本来のセンスに近いと思っています。
スパイダーマンに「スパイダーセンス」という能力があります。
危険を察知する、特殊な感覚です。
でも現実世界にも、
たぶん似たものがあります。
料理人には、
火加減の違和感が分かる。
営業の人には、
相手の空気の変化が分かる。
デザイナーには、
「なんかここズレてる」が分かる。
子育てしている人には、
子供の“いつもと違う泣き方”が分かる。
でもそれは、
突然空から降ってきた能力ではなくて、
何度も失敗して、
何度も観察して、
何度も気まずい思いをして、
何度も試してきた結果として、
身体に染み込んでいる感覚なんだと思います。
だから私は、
「センスあるね」
という言葉を、
半分は褒め言葉として受け取りつつ、
半分は、
ちょっと雑な言葉だなとも思っています。
なぜなら、その人が積み重ねてきた時間や、
失敗や、
観察や、
試行錯誤を、
全部すっ飛ばしてしまうからです。
しかも世の中で言われる「センス」って、
実際にはかなり環境依存です。
幼い頃から美術館に行っていたとか。
家に本が大量にあったとか。
高級レストランに慣れているとか。
海外旅行が当たり前だったとか。
周囲に文化資本の高い人が多かったとか。
つまり、
“知っている世界”
が違う。
これは能力というより、
接触頻度の問題でもあります。
もちろん、それ自体が悪いわけではありません。
でも、
それを全部「センス」で片付けると、
今まさに途中にいる人たちが、
挑戦しにくくなる。
「自分には才能がないから」
で終わってしまう。
でも本当は、
20点のセンスとか、
35点のセンスとか、
“育っている途中の感覚”
があるはずなんです。
いきなり100になる人なんて、
ほとんどいない。
キノコだって、
最初は全部ただの葉っぱに見えます。
でも、
何回も山に入っているうちに、
だんだん輪郭が浮かび上がってくる。
「あ、これか」
という瞬間が増えていく。
だから私は、
いろんなことを試してみるのは大事だと思っています。
絵を描く。
写真を撮る。
料理をする。
旅をする。
DIYする。
文章を書く。
人と話す。
植物を育てる。
うまくできなくてもいい。
むしろ、
最初はダサくて当然です。
というか、
最初から上手い人、
ちょっと怖いです。
だって、
途中を通ってないから。
失敗しながら、
恥をかきながら、
自分の感覚を調整していく。
その過程そのものが、
センスを育てるんだと思います。
たぶん人生って、
「自分だけのマッシュルームセンス」
を育てるゲームなのかもしれません。
人によって、
見えるキノコが違う。
音楽が見える人もいる。
人の感情が見える人もいる。
建物の違和感が見える人もいる。
光の美しさが見える人もいる。
だから大事なのは、
他人のセンスを羨むことより、
自分は何に反応するのか、
何を見ると心が動くのか、
どこに違和感を感じるのかを、
観察し続けることなんだと思います。
そして、
もし今まだ何も見えなくても、
それは「才能がない」という意味ではなくて、
まだ山に入り始めたばかり、
なのかもしれません。