センスを磨くとは?第2回:センスとは、違いを細かく知覚できること

先日、息子の体操教室を見学していました。

倒立から前転して、

そのまま前宙のように回転していく練習です。

まだ小学生なので、

コーチが横につき、

背中や腰を支えながら、

ぐるっと回していきます。

私は最初、

「危ないなぁ」

とか、

「すごいなぁ」

くらいの感覚で見ていました。

でも途中から、

コーチの声かけが気になってきました。

「踏み込み浅い」

「もっと天井見る」

「手が近い」

「腰曲がってる」

「着地流れた」

「右肩開いてる」

次から次へと、

ものすごい速度で修正していく。

しかも、

10人近い子供たちが

ぐるぐる回転しながら順番に流れてくる中でです。

私から見ると、

みんな同じように回っている。

でも、

コーチには違って見えている。

そこに、

かなり強い衝撃がありました。

たぶん、

あのコーチには、

動きが“分解されて”見えているんですよね。

私には、

「ぐるっ」

という一つの流れにしか見えない。

でもコーチには、

踏み込み、

手をつく位置、

肩の角度、

視線、

腰の高さ、

回転軸、

着地の重心移動、

みたいなものが、

一つ一つ別々に見えている。

しかも、

それを瞬時に判断している。

たぶん、

1秒を何フレームにも分けて見ている感覚に近い。

スローモーションみたいに。

これって、

前回書いた「マッシュルームセンス」と、

かなり近い話だと思いました。

キノコ狩り名人には、

森の中でキノコが浮かび上がって見える。

料理人には、

味の中の細かい違いが見える。

音楽家には、

リズムのズレが分かる。

デザイナーには、

余白の違和感が見える。

そして体操コーチには、

回転中の“ほんの少しのズレ”が見える。

つまり、

センスというのは、

「普通の人には同じに見えるものの差異を感じ取れる能力」

とも言えるのかもしれません。

逆に言うと、

知らない世界って、

全部同じに見えるんですよね。

たとえば、

ワイン。

詳しい人は、

「これは○○地方っぽい」

「今年は酸味が強い」

「樽香が違う」

みたいな話をします。

でも詳しくない人からすると、

「赤ワイン」

くらいの解像度です。

私も正直、

まだそっち側です。

ファッションもそう。

好きな人には、

ボタンの位置、

生地、

シルエット、

年代、

ブランドごとの癖が見える。

でも興味がなければ、

「黒いコート」

くらいにしか見えない。

アイドルもそうですよね。

ファンには、

一人一人まったく違って見える。

声、

話し方、

立ち姿、

表情、

ダンス、

性格。

でも、

知らない人には、

「みんな同じ」に見えてしまう。

これは、

どちらが偉いとかではなく、

“解像度”の問題なんだと思います。

そして面白いのは、

解像度って、

後天的に上がるんですよね。

最初は全部同じに見える。

でも、

何回も見て、

失敗して、

比較して、

観察しているうちに、

「あれ?」

という差が見え始める。

さらに続けると、

「ここが違うのか」

になっていく。

そして最終的には、

一瞬で違いが分かるようになる。

たぶん、

体操のコーチも、

最初から見えていたわけではない。

何千回、

何万回と、

子供たちの動きを見てきた。

成功も失敗も、

ケガも、

癖も、

上達も見てきた。

その蓄積によって、

身体のズレが見えるようになった。

だから私は、

センスって、

「選ばれた人だけの才能」

というより、

“差異を観察し続けた結果、生まれる感覚”

なんじゃないかと思っています。

もちろん、

向き不向きはあります。

でも、

「見えないから才能がない」

ではなくて、

まだ見分けるだけの経験量がない、

という場合もかなり多い。

たぶん、

世界って、

本当はものすごく細かい違いで満ちています。

でも、

最初は全部ノイズにしか見えない。

キノコも、

体操も、

料理も、

音楽も、

会話も、

人間関係も。

その中で、

少しずつ輪郭が見えてくる。

「あ、この違和感か」

「この流れか」

「この空気か」

と分かるようになる。

だから、

何かを“分からない”という状態は、

恥ではなくて、

まだ解像度が育っていないだけなのかもしれません。

そして、

解像度は、

時間をかければ上がる。

森に入り続ければ、

キノコは少しずつ見えてくる。

たぶん、

センスって、

そういうものなんだと思います。