センスという話をしていると、
どうしても避けて通れないものがあります。
それは、
市場経済です。
なぜなら、
現代社会において、
「違いが分かる」という能力は、
そのまま消費行動と強く結びついているからです。
前回、
体操教室のコーチの話を書きました。
踏み込みの位置。
視線。
回転軸。
着地。
普通の人には同じに見える動きの中から、
細かい差異を見抜いていた。
あれは、
ある意味では、
“解像度”の話でした。
そしてこの解像度というものは、
実は市場経済において、
ものすごく重要です。
なぜなら、
市場価値というのは、
基本的に「差別化」から生まれるからです。
違いがあるから、
比較が生まれる。
比較があるから、
価値が生まれる。
そして価値が生まれるから、
価格差が生まれる。
たとえば、
ただの白いTシャツ。
でも詳しい人には、
生地感、
縫製、
首周り、
シルエット、
年代、
ブランドの文脈、
みたいな違いが見えている。
そしてその違いが、
価格差になる。
ワインもそうです。
ブドウの品種。
土壌。
気候。
熟成年数。
産地。
年代。
詳しくない人には、
「赤ワイン」にしか見えない。
でも、
解像度が高い人には、
無数の違いが存在している。
つまり、
市場経済というのは、
「差異を発見し、意味を与え、価値化するシステム」
とも言えるのかもしれません。
だから、
センスがいい人というのは、
ある意味では、
“差異を読み取る能力が高い人”
でもあります。
しかも、
その差異を、
市場価値として理解できる。
どのブランドが、
どういう歴史を持ち、
どのラインが人気で、
どの年代が希少で、
どの文脈で評価されているのか。
そういうものを理解している。
これは、
生まれつきの才能というより、
かなり「学習」に近い。
そして正直に言うと、
ここには経済格差もかなり関係しています。
幼い頃から、
どういうものに触れてきたか。
家族がどんな店に行っていたか。
どんな音楽が流れていたか。
どんな会話をしていたか。
どんな旅行をしていたか。
つまり、
“どんな世界を見て育ったか”。
これは、
かなり大きい。
だから私は、
「センスがいい」
という言葉を、
あまり簡単には使えません。
そこには、
本人の努力だけではなく、
環境や経済基盤も含まれているからです。
でも、
ここで重要なのは、
市場経済と結びついたセンスだけが、
人間の豊かさではない、
ということです。
たとえば、
風。
季節によって、
風の匂いって違います。
朝の空気も違う。
雨が降る前の湿度も違う。
木陰の温度も違う。
コーヒーカップの手触り。
洗いたてのタオル。
夕方の光。
静かな部屋の音。
こういうものって、
別に市場価値とは関係ありません。
高級ブランドでなくても、
感じ取れる。
むしろ、
お金では買えない部分も大きい。
でも、
こういう感覚も、
実は“解像度”なんですよね。
注意深く生きていると、
違いが見えてくる。
「あ、今日は空気が柔らかいな」
とか。
「この部屋、少し乾燥してるな」
とか。
「この人、ちょっと疲れてるな」
とか。
つまり、
市場経済の外側にも、
無数の“差異”が存在している。
そして私は、
こちらの解像度を育てることも、
かなり大事だと思っています。
なぜなら、
市場経済におけるセンスだけを追い続けると、
終わりがないからです。
もっと高級なもの。
もっと希少なもの。
もっと洗練されたもの。
差異は無限に増殖する。
SNSを見ていると、
ずっと「比較」が流れてきます。
あのバッグ。
あの家。
あのホテル。
あのライフスタイル。
もちろん、
それを楽しむのも悪くない。
私もデザインや空間は好きです。
でも、
そこだけになると、
感覚そのものが、
市場に回収されていく感じがある。
だから時々、
市場から少し離れた場所で、
感覚を回復させる必要がある気がしています。
風を感じる。
光を見る。
コーヒーを飲む。
散歩する。
木の手触りを感じる。
別に、
何の役にも立たない。
資産価値もない。
SNS映えもしない。
でも、
そういう「役に立たなさ」の中に、
人間の感覚そのものが残っている気がするんです。
たぶん、
本当に豊かな人って、
高級品の違いが分かる人だけじゃなくて、
風の違いも分かる人なんだと思います。
市場の中で解像度を上げること。
そして同時に、
市場の外側でも、
感覚を育てること。
その両方を持てたら、
人生はかなり面白くなる気がしています。