自分らしくいられる時間とは?

最近、少し不思議だなと思うことがあります。

「自分らしくいられる時間」
って、なんなんでしょうねぇ。

たとえば、
仕事が終わったあと。
家族が寝たあと。
誰にも邪魔されない深夜。

ようやくスマホを置いて、
コーヒーを飲んで、
YouTubeを見たり、
ゲームをしたり、
文章を書いたりする。
「あぁ、やっと自分に戻れた」
そんな感覚。
これ、たぶん多くの人にあると思います。
私もかなりあります。

でも最近、
ちょっとだけ違和感もあるんです。

もし、
“本当の自分”
が深夜にしか存在できないなら、

昼間の自分は、
いったい何なんでしょう。

仕事中の私は、
家族といる私は、
買い物している私は、
全部「演技」なんでしょうか。

もちろん、
社会には役割があります。

父親としての役割。
会社員としての役割。
夫としての役割。
全部を完全に自由にはできません。

でも、
その全部が「我慢」だけで構成されていると、
だんだん人生が苦しくなっていく。

だから最近は、
「完全に自由な時間を確保する」
だけじゃなくて、
「生活の中に、自分を少し混ぜる」
ことが大事なんじゃないかと思っています。

たとえば、
子供と工作する。
料理をする。
ホームセンターへ行く。
散歩する。
虫を見る。
雲を見る。

それって一見、
“子供のため”
みたいに見えるんですけど、

実は、
自分自身も少し楽しい。

むしろ、
自分の好きな感覚を、
生活の中へ混ぜ込んでいる。

そんな感じです。

昔の私は、
「自分の時間」と「家族の時間」を、
かなり分けて考えていました。

家族サービスをして、
そのあと深夜に、
やっと自分の時間。

でもそれだと、
人生が二層構造になるんですよねぇ。

昼は義務。
夜だけ本番。

すると、
深夜の自由時間が、
だんだん“酸素ボンベ”みたいになっていく。

「あの時間がないと、自分を保てない」
になる。

もちろん、
一人の時間は大事です。

本当に大事。

でも、
そこにしか“自分”が存在できないと、
かなり消耗する。

だから最近は、
もっと小さな形で、
自分を生活へ混ぜていけないか考えています。

たとえば、
子供と歩いていて、
「この雲、クラゲみたいですねぇ」
と言う。

ご飯を作りながら、
「この色、animalsっぽいですねぇ」
と言う。

会話の中で、
少しだけ、
自分の感覚を混ぜる。

すると、
生活全体が、
少しずつ“自分仕様”になっていく気がします。

これは、
「自分勝手になる」
とは少し違う。

むしろ逆で、

“自分を消しすぎない”

ということなのかもしれません。

たぶん昔の私は、
周囲に合わせようとして、
かなり自分を潜ませていました。

忍者みたいに。

でも、
完全に潜み続けると、
だんだん、
自分自身の輪郭まで薄くなっていく。

だから最近は、
ほんの少しだけ、
生活に自分の色を混ぜる。

そのくらいが、
ちょうどいい気がしています。